もうこれで私の「おばあちゃん」は一人もいなくなったんだとはっとする。
思えば、この年になるまで「おばあちゃん」と呼べる人がいたことも
「おじいちゃん」がまだいることも
すごく幸運なことだ。
まともに歩いていないせいで近頃どうも不眠気味なこともあって
今夜は私が棺の側に寝ることにしたのだが
明日には本当にこの身体ともお別れかと思うと
今のうちに心置きなく声に出して呼んでみようと思って
「おばあちゃーん」
棺の上部の顔を覗ける窓をぱったんぱったん何度も開けたり閉めたりして挨拶している。
「もういいよ!そんなに何度も開けるもんじゃないよ!」
という声が聞こえてきそうだ。
家に葬儀屋さんを呼んで、
納棺して、壇を飾ってお坊さんを呼ぶ。
こういうのは今時はどのくらいの人がするのか聞いてみたところ、
参列者のアクセスの問題などもあり、家での葬儀は全体の1割にも満たないそうだ。
若い坊さんは戒名さえ間違わなかったが、
人生経験が少なすぎるのか仕事を舐めてるのか、はたまたその両方なのか、
講話は恐ろしくつまらなく、しかも下手糞で、
子供の小学校の担任の先生の話の方が百倍マシな感じであった。
それでもまあ、家でこういう葬式をして欲しいという長年の祖母の願いは叶えられたと思う。
(一番長生きしたせいで縁者の皆様が先に旅立ってしまい、列席者が少ないこと以外は)
読経の間、おじいちゃんの時は白黒のシマシマの段幕がかかってたとか、
それにしても白菊とカトレアとこの木彫り細工ってスゴイ取り合わせだよなあ、
日本っていうよりインドのデコトラックみたいな雰囲気だよなあ、などと考えるのであった。
今枕元から見える光景はこんな感じ。
ライトが幻想的というか、アジアンリゾートに来ているみたいと言えなくもない。
祖母の葬儀
この記事を書いた人
Saori Takano
「ここに来て良かった!」と心から言っていただける治療室を目指しています。
鍼灸治療は人対人の相性が重要だと思っています。
来院するかどうか迷っている方は
ざっと眺めていただいて参考にしてくださいませ。