昨年11月、経穴部位国際標準化公式会議において361穴全ての経穴の位置が決定されました。
今まで経穴というのは中国、日本、韓国でそれぞればらつきがあったのです。
もちろん、日本では足にある経穴が中国では手にある、なんていう極端な話ではありませんが、1cmくらいずれていることはよくあります。
2人で「○○の症状に××という経穴が効いた」などと会話していても、お互いに頭で思い描いている経穴の場所が異なっていることがあるわけです。
各国の交流が活発になり、世界で経穴の位置が共通認識でないというのは学術的な意味で障壁になるのでついに統一が実現したようです。
私が鍼灸専門学校で経穴を習った時にはいくつか「中国ではココだけど日本ではココ」という教わり方をしました。
しかし「何故同じ経穴名なのに中国と日本で場所が違うのか」という単純な疑問を持ち
「期門の謎」と称した卒業研究でクラスメイトと足の厥陰肝経にある期門という経穴が、何故中国と日本で違う場所に取るのか、そのルーツを調べることに。
調べるといっても素人には大変。
現在の経穴というのは古典を元にしていますが、この古典の記述というのが「☆☆の1寸下」とか「△△の間」とか、現代の我々から見ると曖昧な記述ばかり。
その基準となる☆☆や△△がわからなければ結局どこだかさっぱりわからず、当時の1寸がどのくらいの大きさであったのか、から始まって医古文にうとい我々にはハードルが高いのなんの・・・。
提出期限もせまってきて、どうも日本では学校教育が始まったあたりからこの日本式の期門になったらしいという推測を立て、そういう資料がないかと森ノ宮医療学園専門学校の図書室を訪問。
ここの図書係の横山先生が常識を超えた恐ろしくマニアックな方で、私たちが何ヶ月もうだうだ調べても見つけることができなかった資料を5分で持ってきてくださいました。
あの若さで鍼灸関係の本の中身をあれほど詳細に把握している方は他にいないのでは。
おっと脱線。
で、私たちはその横山先生が出してくれた資料をもとに(というかその数冊で・・・)
日本でこの場所が採用されたのはおそらく明治時代の学校教育からであろうという結論をとりあえず出したのですが、
何故その説が採用されたのかという理由の推測や経穴自体の効用・意味についてまでは全然掘り下げることができなかった。
より古い文献からの出典を「正しい」経穴とするならば日本式期門は正しいとは言い切れないと言えそうですが、
日本独自で使っている期門の場所が中国式と比べて経穴として効果がないのかというと、そんな単純な話ではないのです。
実際に日本式の方を実践して治療をしている鍼灸師が沢山いるわけで・・・
結局、私たちはさんざん回り道をしたあげくに、
いくら文献の山を得たところで実際に見るのは生きている人間の身体、
1700年前の文献を正確に踏襲することが良い治療につながるとも限らないし、
経絡経穴とはこうだ、とすぐ言い切れるような単純なものではないのだなあという鍼灸師であれば誰でも感じる当たり前のことを実感したのでした。
経穴が統一されたというニュースのあと、「じゃあ今までのツボは間違っていたんですか」という問い合わせが出たということですが、当然の疑問です。
統一といってもそれが唯一正しいのではなく、基準が出来た、というだけで
何が正しいのか、何が一番効果的なのか、
というのは決着がつかないまま100年200年経つのかも知れません。
日本では、中国と比べるとより経穴の反応を手で探って確かめる傾向にあります。(残念ながら韓国の事情についてはまったく無知です)
私自身も、鍼やお灸をするツボを決めるときはよく見て、触って確かめるのは大事なことだと思っています。
だから基準が出来たことによって「この経穴は、この場所以外は認めない」というような考え方が出現することを今から危惧している鍼灸師は少なくないでしょう。
案の定、今月の業界紙「医道の日本」の巻頭には今回の統一について日本の鍼灸界の大御所の方々の喧々囂々の議論がされていて面白かったです。
「今回の統一案には疑問を感じるので、私はこれらのツボを使うことはないだろう」とはっきり言い切る先生もいたりして。
今回の案の良し悪しは私にはわかりませんが、統一案の本はいつ出版されるのか、期門が中国式の方に統一されたのかどうか早く確かめたいところです。
祐天寺 きよら鍼灸院