映画 玄牝を観てきました

まずこれなんて読むの?と悩みますが
老子『道徳経』第6章の引用だそうです。
「谷神は死せず。これを玄牝(げんぴん)という。
「大河の源流にある谷神は、とめどなく生命を生み出しながらも絶えることはない。
谷神同様、女性(器)もまた、万物を生み出す源であり、その働きは尽きることがない。
老子はこれを玄牝――“神秘なる母性”と呼んでいる。」
難解なタイトルですが、
昔の主婦のように身体を使う生活が安産には大切という信条を持って
薪割りや雑巾がけなどの場を妊婦に提供している
自然分娩で有名な産婦人科医、吉村医師の医院のドキュメンタリー映画。
「神様」という言葉が何度か吉村先生の口から出てきます。
生きるも死ぬも神様にゆだねる。
とても共感する考え方ではありますが、
お産というのは自然に任せてばかりだと生死に関わる場合もままあるので
現代では全て自然に、は受け入れられないですね。
また、鍼灸師は高度不妊治療を受けている方と接する機会も多い。
自然に任せることを重要視するのであれば
現在の生殖医療を否定することにもなりかねないし、話題としてはちょっと複雑です。
私も妊娠したとき、吉村医院みたいなところに行けたらいいなあなんて
思っていたけれど、この映画で吉村医院の母親学級の「場」を垣間見る限りでは
吉村医師と妊婦さん達の間に
師弟関係に似たとても濃厚な空気が流れている感じで、
多分ついていけなかっただろうな。
しかし実際に医院での出産を考えて現地を訪問した友人によると
ああいう気難しいおじいちゃん先生のもとで働くスタッフというのは
忙しいしさぞやぴりぴりしているに違いないと想像して受診したところ
予想を裏切る温かさと思いやりに満ちた心地よい雰囲気で
驚いたと言っていました。
ワンマン先生を支えるスタッフの方々の努力と労力がしのばれます。
断片的にそのような感じのことを助産師さん達が語るシーンもありました。
臨月で薪割りをする妊婦さんが本当にかっこよかった!
まあ、確信を持って言えることは私も
もし妊娠前からあのように薪割りだのスクワットだのを熱心にして
まともな体力を養っていればもっと楽なお産になったであろうと。
普段歩いていたとしても、所詮コンクリづくしの街中をうろうろ歩き回るのと
薪割りや農作業じゃあ、比較になりません。
とはいえ別に自分の出産にトラウマがあるわけではないので後悔はありません。
それよりも、映画の中で気持ちいいと言いながら産みおとす産婦さんには
申し訳ないが私にはやりすぎな感じというか、違和感がありました。
ここまで産むことに労力を費やせるのは
ある意味で贅沢の極み、
この映画を見て自分のお産と違いすぎて
傷つく女性がいるのではないかと、そっちの方が心配になってしまいます。
周囲を見渡すと、たまたまかも知れませんが
どちらかといえばお産が軽かった人よりも、
大変だった人の方が多い。パートナーの立会いも、
産前の体力づくりにしても、準備を整えられる人は限られています。
河瀬監督のトークショーに出た友人は
私と同じようなことを感じていて、その疑問を監督にぶつけてみたそうですが、
なんと返答してもらったかはまだ聞いておりません。
もちろん、この映画をきっかけにして
出産が大きな心の傷になる女性がひとりでも減ると良いですが。
ラストの吉村先生への河瀬監督の言葉、
わりと普通というか、
月並みなことを言っているように思われたのに
それがいたく吉村先生の心に響いたらしいのが意外。
産婦人科医の相手は限定された世代の女性ばかり、
同じ産婦人科医の仲間の中でも特異な存在だろうし
多くの妊産婦から支持はされていてもある意味「孤独」なんだろうなあと
勝手な感想を持ちました。

この記事を書いた人

Saori Takano

「ここに来て良かった!」と心から言っていただける治療室を目指しています。
鍼灸治療は人対人の相性が重要だと思っています。
来院するかどうか迷っている方は
ざっと眺めていただいて参考にしてくださいませ。