もっと積極的に祈ろう

5月8日の辺境ラジオ
「震災編 前半:辺境的原発論 後半:私たち西日本人はどう振る舞えばよいのか?」
全部面白かったんだけど
特に後半。
「祈ることしかできません」
という言葉を再考。
祈るという行為は非力でもなんでもなく、実は凄いんだ、と再評価する。
「祈りなんか届かない」「こんなことをやっても無力だ」という思考を捨て
「本当に届く」と思って本気で祈る。
祈る集中力をつける。
祈りによってポジティブになったり、顏色や声色が変わったりすることで
周囲も感応していくということもあるし、
人々は協力しあってつながっているとは限らない。
そっぽを向きながら、ぜんぜん違うことをしながらがシンクロしていくこともある。
そこを賦活するのが祈りである。
科学的思考、合理的思考に汚染されていると真剣に祈ることができない。
見えているものしか見えないという「生命を矮小化したリアリズム」を排除して
5分真剣に祈ってみる。
「試しにここで祈ってみましょう。
せっかくだからラジオを聴いている人にもやってもらいましょう」
と、1分間の祈りの時間。
実際のラジオ放送は無音状態が続くと自動的に音楽が流れるらしいが
ポッドキャストはカットされておらず、
私も一緒に真剣に祈ってみた。
「治療には祈りも効く(含まれる)」と思ってはいる。
だから施術中その人のために祈りながら鍼やマッサージをすることはよくある。
しかしそれはあくまでもある特定の個人のために手作業を伴いつつ行っているもので
ここで語られているような祈りではない。
よし、頑張る(?)ぞ。
スキルはいらない。実践あるのみ。
「祈る集中力」
今からつけていこう。

この記事を書いた人

Saori Takano

「ここに来て良かった!」と心から言っていただける治療室を目指しています。
鍼灸治療は人対人の相性が重要だと思っています。
来院するかどうか迷っている方は
ざっと眺めていただいて参考にしてくださいませ。